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 * 七拾弐 *
 吉原:『朱華楼』楼主の部屋
 
 ゾロが部屋に入ってきたのを見て、シャンクスがにかりと笑った。
 「怒ってはいねェみたいだナ、オマエ?」
 は、とゾロが笑った。
 「怒るのを通り越して呆れちまわぁな。つうかココはそういう見世であって、連中はそういう職業であるってンなら、怒る筋合いはないだろうが」
 「野暮天でも理解力はあるところがゾロだねえ、さすがサンジが見込んだ旦那だァな」
 うんうん、と頷いたシャンクスに、ゾロが片眉を跳ね上げた。
 「サンジはアンタに相談を?」
 「まァさか。でもあの子がオマエさんに惚れていることくらい見抜けなくて、廓の主人なんぞやってられねぇヨ」
 「加えて化け狸どもの親玉と来た」
 そう言ったゾロに、まさかァ、とシャンクスが笑った。
 「オレは親玉じゃねェよ。託されてるだけだァね」
 まあ里親だって言われりゃ合っていると言わざるを得ないがナ、とシャンクスが言って、ゾロは軽い溜め息を吐いた。
 
 「回りまわって連絡は行ってると思うし、鷹のジジイも言ったとは思うが。サンジも雪花も元気さ。コーザはこちら側に辛うじて引っかかってたのを、根性で漸く戻ってきたってトコだな。1ヶ月もありゃあそこそこ動けるようにはなってるだろ」
 「おうヨカッタ。だが元気なのはセトであって、雪花は消える寸前サ」
 「やっぱりナ。大門の門番が残念がってたぜ?」
 ゾロの言葉に、くっとシャンクスが笑った。
 「しょうがねえだろう?かぐや姫は月へと帰るものサ」
 「ここに通っているお侍が他にいなくてよかったナ。居たら今頃、遠衛門さまのお屋敷に居るのは誰だってェことになってるぜ?」
 「ありゃセトだ。雪花じゃねェよ」
 「別に普通に廓を、嫁になったから出たってことでもよかったんじゃねェのかヨ」
 軽く言ったゾロに、シャンクスは小さく苦笑を洩らした。
 「お武家さんの正式な嫁なんざになっちまったら、後々いろんな問題を引き起こすんでナ。死んだってことにしておいた方が無難なのサ」
 「……へえ?」
 
 にいっと笑ったシャンクスの笑顔に、裏があることを感じ取ったゾロは。けれど敢えて突っ込んでその先を訊くようなことはせずに、シャンクスが淹れた茶を飲んだ。
 「オヤ。訊いてこないのかい?」
 目をわざと丸めたシャンクスに、へ、とゾロが鼻白んだ。
 「オレは役者には不向きな野暮天だからナ。余計なものを知ってると却って動きづらくなることくらい自覚してらァ」
 「おー、立派立派。ワンダフォ」
 「わんだふぉ?」
 「英吉利語だ、気にするな」
 
 まぁでもオマエは野暮だが頭は悪ぁないし、その気になればいくらでもどうにでもなる。場さえありゃあな。
 そう言って、シャンクスが目を細めて笑った。
 「けど場が無ェ。だからブスくれて生きてきた。そうだろう?」
 「あぁ……そういうこと、なんだろうナ」
 「だったら場を作るか、場を移すかすりゃあいいのサ。もうすぐオマエのために風はやってくる――――感じてンだろう、侍?」
 笑って言ったシャンクスの目がキラキラと金色を帯びて輝いているのを見詰め、くっとゾロが笑った。
 「あァ。なんかでっけェモンが来るのは解った」
 「ならいい。それに乗りゃオマエの人生は大河に乗ったも同然だヨ。くるくる回ってぶつかって死に掛けながら精一杯生きりゃいい」
 
 オマエの風はコーザが起す。今はアレが回復するまで暇つぶしをしておきゃあイイ。
 シャンクスがにっこりと笑って、すい、とゾロに小さな金の十字架を差し出した。
 「オマエに預けておくから、責任もって見つからないようにこっそりと持っておけ。いずれ雪花が必要とする時が来る」
 「……オレが預かっていていいのかよ?」
 じっとゾロが目を見詰めてくるのに、シャンクスはカラカラと笑った。
 「オマエを信頼してるからナ、ゾロ。普段はやる気ナシなのに、奇妙に責任感が強いしな」
 「奇妙にってェのはナンダ」
 「じゃあ珍妙――――いいじゃねぇか、なんでも。オマエさんなら安全だと思ってオレは渡してンだからヨ」
 
 ゾロ、オマエは。尻切れトンボの風来坊みたいに生きてはいるが、本当なら誰よりがっちり基礎が足着いて地面を自分の足で歩いてる男なんだヨ。
 そう真っ直ぐに目を見て言い切ったシャンクスに、ゾロは小さく肩を竦めた。
 「この間までのオマエは、いつ死んでもイイって顔をしてた。が、今はそうじゃねェだろうがよ。守るモンがあんだろう?」
 トン、とゾロの額を突いたシャンクスに、くすっと笑ってゾロが、ああ、と返した。
 「サンジも、雪花も……コーザもオレが守るさ」
 「だったら見極める目を持て。常に冷静ンなって頭使え。揺るがないモノを得たオマエは、最強になれる」
 朱華楼の主の言葉だ、数々の界隈ナンバーワンになる花を見極めて育ててきたオトコの言葉だ、信じていい。
 そう言い切られて、くっとゾロは笑った。シャンクスも小さく笑って、ゾロが静かに刀の鍔の内側に小さなソレを滑り込ませるのを見守った。
 
 「それにしても。とっとと話しが進んでるな」
 ゾロが鍔を元通りにしながら言えば、シャンクスは小さく肩を竦めた。
 「三鷹屋のジジイは時間を無駄にするのが嫌な上、決まったことはとっととやって除けちまいたいってぇお人だ。コーザが意識を回復するまで、さぞや退屈していたんだろう。今はすることが山積みになっていると目を煌かせていたサ」
 「ジジイは鷹ってェよりは大鷲ってカンジだよな」
 あの人は、コーザが今の場所に留まるって決めたらどうしやがるんだろうな、と呟いたゾロに、シャンクスはくっくと笑った。
 「コーザが動かないわけがない――――否が応でも動いてもらうさ。そのために雪花を手放したンだからナ」
 オレの可愛い雪花チャンをだぜ?と言って僅かに寂しそうになったシャンクスに、ゾロは小さく眉を引き上げた。
 一瞬掌を見詰めたシャンクスが、すい、と視線を上げて僅かに目を細めて笑った。
 「まぁデモ。あの若サマはいつも他人よりほんの少し先が見えてる人だからナ。ちょっとばかり先を見据えてもう歩き出してンだから、どうせならとっとと一番先頭を突っ走っていきやがりゃあいいのヨ。ゾロ、オマエが殿なら、アレももう迷うこたぁないだろ」
 
 に、と口端を引き上げて、シャンクスが笑った。
 「というわけで、この話しはココまで。コーザが動けない間、オレと勝のセンセと若サマのお屋敷を行ったり来たり好き勝手にできるのはオマエだけだ。使いっぱしりにされることは覚悟しておけヨ」
 オレの大事な雪花ちゃんとサンちゃんを宜しく、と言ったシャンクスに頷いて、ゾロが立ち上がった。
 「病気でもない限り、オレより先には死なさねェよ」
 「よっしゃ。よく言い切った。ご褒美にチューしてあげよう」
 「いらねェよ」
 「まあまあそう言わずに」
 「いらねぇって!!」
 
 腕を突っぱねるゾロに構わず、シャンクスがぎゅうっとゾロを抱き締めた。
 「こら、シャ、」
 「るせ、黙ってろ」
 「……へいへい」
 身体の力を抜いて大人しく抱き締められているゾロを最後にぎゅっとしてから、シャンクスは腕を離した。
 「気ィ済んだか?」
 静かに訊いたゾロに、シャンクスはバカ、と返してから。にっこりと微笑んだ。
 「コーザにはもうここには顔を出すんじゃない、と伝えておけ。雪花が死んだ後じゃあ顔を出し難いだろう」
 「リョーカイ。顔を出したいと言い出したら伝える」
 「よし。もう行っていいぞ」
 「へいへい」
 
 のっそりと立ち上がったゾロを見て、ふわりとシャンクスが微笑んだ。
 「出来の悪い弟が旅立っちまうみたいでサミシイネェ」
 「誰が出来が悪いんだよ」
 「んー?息子のほうがヨカッタ?」
 「そうじゃねェだろ。つうかな、アンタ。何時産ませた子供なんだっての」
 「えっとー……十三とかそこら?」
 や、十二?ううん、十四?などと首を傾げ始めたシャンクスに、じゃあな、とゾロが片手を挙げた。
 
 楼主の部屋を出て雛菊太夫の客間に戻れば。帰り支度を整えつつあった次郎久右衛門と目が合った。
 「戻らぬものと思っていたぞ」
 「面倒を見なきゃなんねぇ子狸が居るモンでナ」
 「なるほど、存外一途なのだな」
 「存外ってなァなんだよ」
 「ふむ」
 「ふむじゃねえっての」
 
 掛け合い漫才を楽しんだらしい雛菊が、笑いながら次郎久右衛門に言っていた。
 「三鷹屋の大旦那さまならいつでもお待ちしておりいすえ。手順は違えんしたけんど、ご内所さまはお気になさらんでしょ。吉原にお出での際には、雛菊をお忘れでなく」
 「うむ。また来よう」
 「あら嬉しい」
 
 華々しく笑顔を振りまく雛菊にくっと笑って、ゾロはエースが差し出した自分の太刀を腰に差して上掛けを羽織った。
 「ゾロは今度はオレに会いに来いナ」
 「エース、それだとオレがオマエ目当てでここに通ってるみてェな言い草になるじゃねぇかヨ」
 「気にしない、気にしない。いつでも待ってるわン」
 ぱちっとウィンクをして寄越したエースの頭を小突いてから、見送りの行列に交じるのを断って先に大門まで一人向かった。
 籠屋に大旦那がもう直ぐ来る旨を伝えて用意を整えさせる。
 
 見送りである雛菊を連れた次郎久右衛門は、賑わいで居た夜の吉原の街中でも随分と一目を集めていた。けれど雛菊も次郎久右衛門もそれを気にした様子も無く、真っ直ぐに大門へと向かってきた。
 エースがゾロに籐の籠を渡した。見れば次郎久右衛門も同じように籐の籠を受け取っている。
 「なんだコレは?」
 「んん?ウチのお嬢さんの持ち物だヨ」
 「お嬢さん?」
 「直ぐに解る」
 
 またな、と手を振るエースに首を傾げつつも、籠に乗った次郎久右衛門が手を差し出してきたのに籠を渡す。
 みぁん、と小さな声で鳴く声に、ゾロは合点がいって小さく笑った。
 「ナルホド、お嬢さんね」
 大門の外にはまだいくつかの籠が置かれていて。けれどもう随分と静まった夜の気配に、ゾロは意識を済ませながら歩き出した。
 
 
 
 
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