「―――遅いな、」

ベックマンのその声に僅かに含まれる物に、部下の一人が驚いた表情を浮かべた。

約束の時間を5分ほど過ぎ、とうに見えている筈の車影はどこにも現れてはいなかった。

「“赫足”が約束を違えるとは思えねえが―――」

車中に残る男に向かい、何かを断ち切るように言い捨てる。

「市警に探りを入れるように言え。それから―――、エマージェンシー・コールの記録も

あたらせろ。すぐにだ」

「なにか……」



「どうやら嫌な風が吹き始めらしいな。―――来い」

もう一台の車に向かうベックマンの傍らに部下が従う。

「ですが、ここでクリークを待つはずでは?」

「いつまでいたって、恐らくヤツは来ねえぞ」

低く押し殺された声に宿る殺意にも似た物に、知らず自分の足が微かに竦み止まるのを

男は感じた。視線で追う姿は酷く静かに自分を置き去りにし遠ざかって行き。我に返ると

その後姿を足早に追う。

「ネフェルタリの幹部に、コンタクトを。誰でも構わねえ、早くしろ」

ベックマンの怒気を抑えた声が前方から響いた。













--- Who Can Stop the Rain? ---






1.


昼前にゾロが戸外に出て行った。

その手許からの微かな電子音にエイブラとベンヴォ―リオは顔を見合わせた。

「ボスからか―――?」

「かもしれねえな」

「あのヒトも心配性だからな、あれで案外」

軽くわらい、それでも二人の注意はこの隠れ家を取り巻く気配に向けられる。







その双眸を閉じ、静か、と言えるほどのものを湛えゾロは立ち尽くしていた。

やがて緩やかにそれが陽を映し、蒼穹へと向けられる。

遠ざかるバックミラーが映していた姿を思い出す。地面の碧と空の藍の間に

黄金の髪が風に揺れ、いつまでも立ち尽くすようだったのを。

唇が形作るのは、ただひとつの名前。







関節が白く浮き上がるほど握り締めていた端末から、一つの番号を呼び出す。

「バルサザー、おれだ」









戦闘のプロフェッショナルとはいえ、二人の男は信頼を寄せている相手からの突然の

動きには脆かった。銃床で後頭部に衝撃を受け、その場に崩れ落ちる。その身体を

椅子に拘束し、ゾロは扉を閉めた。ガレージにある車のタイヤの空気圧を全てゼロにし、

自分たちが乗ってきたそれのエンジンをかける。



そこで初めてゾロの動きが止まった。



「あー、やっぱ。アイサツしとかねえとな」

まるで何でもないことのように独白し。躊躇いも無くヴォイスメールのダイヤルを呼び出す。

そしてベンヴォ―リオとエイブラに本意ではない負傷を負わせたことを詫び、そして息をついた。



「シャンクス。あんたは怒るだろうけど。おれのプライオリティはもう決まってるんだよ。

もう一度あいつに逢うってこと。あのクソ野郎をブッ殺スこと。だから、おれは戻る。

再開発エリアの4番埠頭まで死にに来いって言ってやがるけどな、おれはコイツには絶対

殺られねェから」



言葉を切りオフにしかけ、微かに躊躇する。

そして、意を決したように一気に言葉に乗せると電源を切り、それを遠くへ投げ捨て。

セダンのアクセルを踏みつける、シティへと戻るため。



付け足されたのは、最後のメッセージ。




あんたには、感謝してる。

ありがとう、あと、ごめん。

でもな、大好きだったよ、ガキの頃から。じゃあな。








2.

「一体どういう事だ・・・?なぜここにいねえんだよ」

ガルフストリームIVのタラップから駆け下りるようにしてシャンクスが問い掛けてくる。

郊外の私設空港に落ちていく陽に、その姿が同化し。

「おれがDCに行ってる間に何があったんだ?」

その影が燃え立つような赤を背にベックマンの前に立つ。







“赫足”が死んだだと―――

低い、呟きが洩れた。




「待てよ。いつの話だ、それ―――?」

「一昨日だ。珍しく緘口令が徹底されていたらしい」

「ベルメールはっ?」

「だめだ。連絡が取れない。ただ、ノースビーチ・ドライブで今朝早くに男の遺体と

女が重症で発見された」

「―――ネフェルタリの地所じゃねえか」

シャンクスの瞳の底に燐光にも似た物が閃く。




「無事なんだろうな―――?」

「女はパシフィック・メディカル・センターに搬送された。いま、ウチから一人付けてドクターが

身元の確認に行ってる」

「おい・・・。女は無事なのか、と聞いてるんだぜ、おれは」




「くれはの行き先は、モルグだ」

シャンクスの瞳が一瞬、閉じられる。




「―――サンジは」

「手を尽くして探している」

「ネフェルタリには、」

「ああ。幹部連中に話は通してある。あっちも必死だ」




「―――チャカか?」

短い問い掛けにベックマンが頷く。




「あいつに―――ネフェルタリのコーザに連絡は」

「チャカにさせている」

「―――わかった」

シャンクスが片手を上向け、それ以上の報告を留めさせる。




やはり自分かベックマンの眼の届くところに“あのガキ”を置いておくべきだったかと

今更な自責の念が湧き起る。




「ボス。あんたの首尾は」

「上出来に決まってんだろ。上院から圧力かけさせてやる。あのクソワニ野郎、

市警のトップにまで喰いこんでやがった。こうなりゃ市警ごと叩いてやるまでだ」

「すぐに戻らねえとな」

「ああ、」




ひたりと。シャンクスの眼が急速に落下していく陽にあわせられる。

「時間がねえ」







「ボスッ―――連絡が、ベンヴォ―リオからです!」

タラップから端末を持った男が飛び降りてくる。その声に瞳が一瞬閉じられ。

その再び開かれた時によぎった物の名を、何と呼べば良いのか

誰一人、言葉にはできず。







通話を終えたシャンクスに、言葉をかけられたのは黒髪の男だけだった。

唇を噛みしめ、近づけば切れるかと思うほどの冷気に周囲が緊迫する。

言葉が、発せられた。







「―――ゾロが。シティに向かってる。おれたちも戻るぞ」







ふと、握り締めた端末に眼を落としたシャンクスが、ジーザス、と呪詛を吐くのをベックマンは聞き。

ヴォイスメールのメッセージ表示が点滅しているのを眼にする。

再生のボタンが押され―――

やがて赤髪の男の纏う気が凶暴なまでに撓み







滑走路にそれを叩きつけ夕刻の陽の名残が砕け散る破片を照り返す。

ぱたりと。路面に落ちたのは、朱の色をのせた滴。












「おれは―――自分が許せねえ」

飛ぶように過ぎる前方を睨みつけるように見据えたまま、シャンクスが言う。

「ガキの一人も助けてやれねえのか、チクショウ」

「諦めるのか」

「―――そんなワケあるかよ。良いからさっさと埠頭まで行け」




“ボース、”

車内電話から暢気な声が響く。

“ちょいとおれらの前方にポリスの検問があるみてえだぜー?”

「行き先はわかってんだろう、ルウ?遠慮はいらねえ。ブッ潰せ」

“そーうこなくっちゃな!”

物騒な笑い声と共に通話は突然断ち切られ。




「コーザに連絡を取らせろ。サンジのいるのは4番埠頭だと教えてやってくれ。多分、

アイツの方が先に着く」

なにかが、くすくすと自分の背後で笑うように感じシャンクスは眉根を寄せる。

運命の冷たい手?

そんなモンおれは認めねえぞ。










加速する。シティへと。








3.

自分の意識が、ジェル状のモノをゆっくりと掻き分けるように表層へ戻ってくるのを全身が弛緩

したように感じるなか、はっきりと知覚する。甦るのは、最後に嘲るように自分を見おろしていた

男の顔。四肢が自由を取り戻すまで、瞳を閉じたまま耳を澄ませる。微かに、船の汽笛の音がする。

そして、開いた瞳に写るのは。



古びた倉庫の一室。昔は事務所にでも使われていたらしい木の床がその名残を留めており。

ゆっくりと上体を引き起こし、ビビは苦笑する。



「最低の男ね―――」



空間の中央に立つ石の円柱に、鉄環が嵌められた右足首が鎖で繋がれていた。

おそらく扉までは届かない長さ。けれど、窓辺までなら充分な長さがある。どうにか身体を起こし、

窓辺に立つ。雨に汚れ固く閉ざされた石枠の窓。それでも全身の力で押せば、開く事を確かめると、

僅かに隙間を残しまた窓を寄せる。



予想に違わず、そこが埠頭に隣接する旧倉庫街であるのにビビは唇を噛みしめる。

そこは、ネフェルタリの所有する地所だった。再開発のプランには自分も携わっていたため、

この区域の概観は記憶に刻み込まれている。



「オンナに図面が読めないと思わないでよね」

ひっそりとビビの唇に笑みが浮かび。



けれども僅かにその表情が歪み、そして膝を抱くようにして窓際にもたれかかる。

一点をじっとみつめ、やがて涙が頬を伝い。拭おうともせず流れるのに任せ、

そのアメジストの瞳が閉ざされる。



再びそれが開かれた時、細い指先は涙を拭うと、タイトなジャケットの内ポケットに

差し入れられた。



「ね、役にたちそうよ、これ」

ビビは小さく呟き。

まだ、量産品どころかプロトタイプとも呼べないほどのひどく薄い携帯端末を取り出す。



“よー、まあ、アレだ。おまえの周りはなんかキナ臭え匂いがするから!護身用と思って

持っとけ、いや、礼には及ばねェ!!ほんの試作品だ、非合法だけどな!”

顔を真っ赤にし、しどろもどろに告げながら自分の手にそれを押し付けた工学部の自称

“期待の星”を思い出す。



「アリガト。でも、怒らないでね」

淡く色を乗せた形良い爪が電源をオンにした。





















next.




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